人の名前が、なかなか覚えられない。
だけど、検査の数字や、昔の患者さんの情景は、ふしぎとよく覚えている。
ぼくの記憶は、ずいぶん偏っているらしい。
歳のせいなのか、仕事のせいなのか。
最近、そんなことをよく考える。
先日、ひさしぶりにお世話になった先生にお会いした。
学生時代の部活の先輩で、働きはじめのころには一緒に診療をしたこともある方だ。
講演会のあと、すこし立ち話をする時間があった。
「あのころは大変でしたね」
なんて昔話をしながら、ぼくの頭の中はぐるぐる回っていた。
あれ?名前、なんだっけ。
加藤先生だったか、佐藤先生だったか。
こういうとき、「先生」という呼び方は便利だ。
とりあえず「先生」と話しておけば、なんとなく通じてしまう。
(先輩、ごめんなさい。帰り道でちゃんと思い出しました)
人とよく会う仕事の人たちは、どうしているのだろう。
営業の方なんて、たくさんの人の名前と顔を覚えているのだろうか。すごいと思う。
人の名前を覚えるの、苦手意識はないですか。
じつは最近、職場でも悩んでいることがある。
新しく入った看護師さんの名前が、なかなか覚えられない。
マスクをしているし、髪型や服装も大きくは変わらないから、、、というのもあるけれど、たぶんそれだけじゃない。
本当は、名前をちゃんと覚えなきゃ失礼だと思う。
繰り返し呼べば覚えると言うけれど、その機会がなかなかないのだ。
おかしなもので、仕事中に必要なことはわりと覚えている。
治療中の画像や検査結果といった、イメージの記憶は強く残る。
採血の結果も、「この患者さんはこのくらいの数値だったな」と、ふっと出てくる。
たとえば、先週入院した肺炎の方の検査値。
入院したときの白血球は13000、CRPは8、クレアチニンは1.2など、数字はなぜか覚えている。
名前は抜けるのに、検査値は残る。
同じ文字列なのに、覚えていられるものがずいぶん偏っているのだ。
覚えているといえば、忘れられない過去がある。
研修医になりたてのころ、循環器内科を回っていた。
主治医の先生のもとで患者さんを受け持ち、毎朝ひとりで病室を回っていた時期だ。
そのなかに、心不全で入院していた70代の男性がいた。
坊主頭で、すこし険しい表情の方。とはいえ、ふだんは問題なく話せていた。
四人部屋の、右奥の窓側のベッド。その横に腰かけている姿を、今でもはっきり覚えている。
心不全という病気は、体に水がたまる。
だから足のむくみや呼吸の苦しさを診たり、体重や尿量を確かめたりする。
その日も、ぼくはいつものように診察に向かった。
「ちょっと診察させてください」
そう声をかけたら、怒られた。
「”ちょっと”とはどういうことだ。適当にやるってことか」
入院が長引いて、いらだっていたのかもしれない。
隣の方が夜中に起きてしまって、眠れていなかったのかもしれない。
理由はわからない。
でも、その言葉は20年以上たっても残るほど、ぼくの心に刺さった。
正直に言うと、当時のぼくには「研修医のぼくが診察するなんて、申し訳ない」という、妙な遠慮があった。
その気持ちが「ちょっと」という言葉に、にじみ出てしまったのかもしれない。
動揺は顔に出さないようにして、
「軽い気持ちで言ったわけではないんです、すみません」
と謝った。
診察は大事なので、そのうえできちんとさせてもらった。
——それで関係が終わったかというと、そうではない。
その後、その方とは毎日のように笑顔で話せる仲になった。
一度怒らせてしまっても、おたがいに誠意をもって向き合えば、信頼はちゃんと築ける。
それに、研修医であっても、自信をもって診察すること。相手の気持ちを考えて言葉を選ぶこと。
あの場面で、いろんなことを教えてもらった。
あれだけのことを教わったのに、その方の名前を、ぼくは思い出せないでいる。
覚えているのは、坊主頭と、窓側のベッドと、あの言葉。
情景のほうが、名前よりずっと濃く残っている。
たぶん、ぼくの脳は、情景や臨床のほうに記憶の場所を割いてしまったのだと思う。
仕事に合わせて、記憶の役割分担を組み替えてしまったのかもしれない。
前回、コーヒーの香りの記事でも書いたけれど、ぼくは何かを思い出すとき、映像が先に浮かぶタイプらしい。
名前という「文字」より、その場の「絵」で人を覚えているのだろう。
記憶の仕方は人それぞれだと聞く。
言葉で覚える人、画像で覚える人。ぼくは、たぶん後者だ。
そう考えると、すこし気がラクになる。
名前が出てこないのは、薄情だからではなくて、
別のところにちゃんと記憶を使っているだけかもしれない。
名前は抜けても、その人と過ごした時間や、交わした会話は、ちゃんと残っている。
偉そうなことを言うようだけど
「何を覚えているか」より、「何が心に残ったか」。
そっちのほうが、ほんとうは大事なんじゃないかと思う。
とはいえ、現場では名前を間違えるわけにはいかない。
病院では、名前の確認はとても大事だ。
最近は、読み方の難しいお名前も増えた。カルテで読み仮名を確認することもある。
海外から来られる方も増えている。
そういうとき、ぼくは仕組みに助けられている。
確認する手順があるから、間違えずにすむ。
40歳をこえて、ようやく思えるようになった。
「気合いで全部覚えなきゃ」ではなくて、「覚えられないものは、仕組みに頼っていい」と。
名前が出てこないのは、衰えだけのせいじゃない。
脳が、大事なものを優先して覚えているだけかもしれない。
そう思えば、すこしは気がラクになる。
——でも、それで全部が解決するわけでもない。
あの患者さんの名前を、ぼくはもう思い出せない。
覚えているのは、窓側のベッドと、あの日の言葉だけ。
それで十分だ、と言いきれたらいいのに。

※この記事は勤務医個人の体験に基づく感想です。個別の症状や治療方針については、医療機関にご相談ください。


コメント