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AIは優秀だ。でも、ベッドサイドに必要なのは人だと思う

医師のひとりごと

最近、AIと一緒にブログを作っている。サイトのデザインについての相談や、CSSの修正、カテゴリの構成など、驚くほどなんでも答えてくれる。自分一人なら何日もかかりそうな作業が、数時間で片付いていく。

もともとこのブログを立ち上げたのは去年の夏すぎから。半年以上、記事をゼロのままこのサイトを温めて(?)きた。
記事は書けないし、サイトのデザインも自分が作ったものだけで殺風景で満足な出来でなかった。

遅々としてすすまなかった状況、それがAIと出会ってからあっという間に変わった。
そして、ふと考える。この技術が医療の現場に入ってきたら、どうなるんだろう、と。

カルテ業務をAIが肩代わりする時代

2026年に入り、医療AIの話題が加速している。JCHO北海道病院では、診察中の会話をAI音声認識で拾い、生成AIがカルテの下書きを自動作成する実証実験が始まった。JCHO大阪病院では富士通やマイクロソフトなどと連携し、医師・看護師の業務全般にAIを活用するプロジェクトも動き出している。

2026年の診療報酬改定でも、AIで退院時要約や診断書の原案を作成する体制を整えた病院には、事務補助者の配置基準が柔軟化されるようになった。要はスタッフが少ない場合でもAIを導入したら手厚い業務をしているとみなされる。国の制度としても、AIの導入を「評価する」方向に舵を切り始めている。

勤務医として、これは素直にありがたいと思う。外来で何十人分ものカルテを書き、終わってから紹介状の返事を書く。入院の患者さんの退院サマリーをまとめる。当直明けのぼーっとした頭で書類を仕上げるなど。AIがその下書きをしてくれるなら、確認と修正だけで済む。ミスも減るだろう。浮いた時間で患者さんとお話しができるなら、ぼくも患者さんも嬉しいことだし、それだけで医療の質は変わる。

でも、ぼくが大事にしていることがある ― 「なんか変だな」と感じる直感

ここまで書いておいて矛盾するようだが、AIにできないことがある、とぼくは思っている。

病棟を何年もみていると、身につくものがある。言語化するのが難しいのだが、あえて言うなら「直感」だと思う。

たとえば、こんな経験がある。ある日、なんとなく気になって病棟の患者さんの病室に足を運んだ。バイタルのアラームが鳴ってるわけでも、看護師から連絡が来たわけでもない。ただ「ちょっと見に行こうかな」と思っただけだ。

そして行ってみると、熱が出ていた。診察するとある疾患の初期症状が見つかり、すぐに治療を開始できた。結果的に、早期発見・早期治療になった。

また医師の中での噂話しで、ある病気を勉強するとその病気の方が救急に運ばれるというのがある。
たまたま勉強していたところに病気の方がきたのかもしれないが。

あの「ちょっと気になる」は、どこから来るのだろう。もしかしたら、これまで患者さんを診てきた経験が、意識に上らないレベルで蓄積されているのかもしれない。顔色、声のトーン、表情や雰囲気など、そういう微かな情報を体が感じているか。

これは家族からの情報確認でも大事なことで「なんか○○さん、いつもと違う」という一言には、注意が必要であったりする。データに現れる前に気づく力。それは時間をかけて周囲の人が得た情報から生まれるもので、今のAIには真似できない領域だと思う。

ベッドサイドでしか分からないこと

重症の患者さんの点滴や薬の調整も似ている。数値だけを見ていても、うまくいかないことがある。でも不思議なもので、ベッドサイドにずっといると「あ、今この薬を増やした方がいいな」「そろそろ落ち着いてきたな」と分かる事がある。

リアルタイムで患者さんの呼吸の状態、脈の触れ方、皮膚の温かさや湿り気、モニターの脈の動きなど「今、この瞬間の状態を連続した状態として」、感じる。

AIは画像診断で高い精度を叩き出し、血液検査の異常を専門家以上の精度で見つける。それは本当にすごいことだと思う。でもそれは「すでに取得されたデータ」を解析する力であって、ベッドサイドに立って変化を感じる力とは違う。

そして、AIは「敵」じゃない ― 患者さんに寄り添う時間を増やすために

僕がAIに期待していること。

カルテや書類など、データ処理的な業務はAIに任せる。そのぶん、医師はベッドサイドに立つ時間を確保する。患者さんを見て、聞いて、感じる。その直感を鈍らせないために、AIの力を借りる。

つまり、AIが医師の代わりになるのではなく、AIが雑務を引き受けることで、医師がもっと「医師らしい仕事」に集中できるようになる。そういう未来がいいなと思っている。

ぼくはAIの専門家でもなければ、最先端の研究者でもない。ただの40代の勤務医だ。でも、毎日病棟を歩いて患者さんを診ている人間として、「見て、聞いて、感じる」ことの価値は、これからも変わらないと信じている。

AIが進歩するほど、むしろ人間にしかできないことが浮き彫りになる。それは医療に限った話ではないかもしれない。

自分が何を見て、何を感じているのか。その感覚は、この先のAIや技術の進歩があっても色褪せないものだと思う。

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