ぼくはコーヒーが好きで、よく飲む。
朝起きて、ちょっと落ち着いて一杯を飲むと、その日を頑張ろうと思える。
ただ、本当にいちばん好きな瞬間は、飲んでいる時ではない。
一時期は少し凝って、ハンドミルで豆を挽いていたことがある。
電動ミルではなく、手で回すタイプのもの。
お湯をわかしつつ、キッチンに立って、豆の量は目分量で入れる。
最近は浅煎りが人気だったりするけど、ぼくは中煎り程度。
ゴリゴリ、ゴリゴリと回していると、豆が割れていく手応えが、手のひらに伝わってくる。
そして、回している最中からふわっと、コーヒー豆の香りが立ち上がってくる瞬間。
まだ淹れてない
まだ一口も飲んでない
でも、その香りで気持ちが満たされる
挽きたての香りが好き。
飲んでいる時の香りも、もちろん良いけど、ぼくの中ではあの「挽いている間の香り」が格別に感じる。
なぜ、こんなに惹かれるんだろう。
たとえば、夏に飲む冷たい緑茶や麦茶。
どちらも好きだし、よく飲む。
でも、香りに惹かれるかと言われると、そこまでではない。
温かいほうが香りが立ちやすいせいなのか。
それとも、コーヒーという飲み物が、ぼくにとって特別なのか。
調べてみると、香りはほかの感覚と少し違うらしい。
目や耳から入った情報は、いったん脳の中継地点を通って、考える場所に届く。
でも、香りはこの中継をほぼ素通りして、記憶や感情をつかさどる場所に直接届くと言われている。
だから、ふとした香りで、突然、昔の景色がよみがえることがあるのかもしれない。
小学校の頃の給食のスープ
幼稚園のトイレの消毒剤
友達の家の玄関
理屈ではなく、その時の香りとともに景色がよみがえる。
そんな、香りのちからに、ちょっと不思議さを感じる。
ここで、もうひとつ気になることが頭に浮かんだ。
野生の動物は、匂いで危険を察知したり、食べ物を見つけたりして生き延びてきた。
嗅覚や聴覚が優れているほど、生存に有利だったはず。
そう考えると、人間は、ほかの動物よりずいぶん感覚が鈍いと思う。
犬の嗅覚にはとてもかなわないし、夜目もきかない。
そんな感覚で、なぜ生き残れたんだろう。
ちょっとAIに聞いてみると、面白い見方があるそうだ。
人間は、感覚一つひとつの性能では負けても、それを組み合わせて意味づける力で生き延びてきた。
群れの誰かが気づき、ことばで共有し、火や道具で補い合った。
一人の鼻が鈍くても、社会と知恵で補ってきた。
そして、ぼくが考えていなかった視点も教えてくれた。
人間の嗅覚は、退化したというより、使い道が変わったのかもしれない、という見方だ。
獲物を追うためでも、捕食者から逃げるためでもなく、料理を味わったり、誰かを思い出したり、その場面に意味を与えるために。
そういう道具に、役割が変わってきたのかもしれない、と。
そう聞くと、ハンドミルを回しながら、ふっと胸が満たされるあの感覚にも、少し説明がつく気がする。
あたりまえだけど、ぼくは生き延びるため、コーヒーの香りを嗅いでいるわけではない。
昨日のことを思い出したり、これから始まる時間に元気を足すために嗅いでいる。
もしかしたら、人間の鼻は、社会に適合するように進化してきたのかもしれない。
好きな香り、嫌いな匂い、人それぞれだ。
ぼく自身、コーヒーの香り以外にも、好きな匂いがある。
暑い夏に、雨が降ったあと、
アスファルトから少しムワッと立ち上がる、あの匂い。
緑の濃い公園を歩いている時に、土と葉っぱが混ざったような匂い。
どれも、写真には写らないし、ことばにすると陳腐になってしまう。
でも、その匂いに包まれた瞬間、ふっと気持ちが緩む。
好きな匂いについて考えてみるのも、たまにはいいのではないでしょうか。
少し暮らしが豊かになる気がします。
慌ただしくしていると気づきにくいけど、ちょっと手を止めて。
ハンドミルを引っ張り出して、一杯分だけ豆を挽く。
ゴリゴリ、ゴリゴリ。
それだけで、その瞬間、気持ちに余裕が生まれてくる。
みなさんには、ふとした瞬間に「あ、この匂い、好きだな」と思うものはありますか。
もしあるなら、それは、生き延びるためではなく、生きている時間に意味を足すための、小さな道具なのかもしれません。




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